2009年12月17日

踏み絵

踏み絵(ふみえ)は、江戸幕府が当時禁止していたキリスト教の信者を発見するために使用した絵。本来、発見の手法自体は絵踏と呼ばれるが、手法そのものを踏み絵と呼ぶ場合も多い。当初は文字通り紙にイエス・キリストや聖母マリアが描かれたものを利用したが、損傷が激しいため版画などを利用し、木製や金属製の板に彫られたものを利用するようになった。絵踏が廃止されると、そのまま廃棄されたり再利用されたりしたため現存するものは少なく、表面が摩耗した形で現存しているものも多い。

江戸幕府は、1612年(慶長17年)徳川家康によるキリシタン禁令、1619年(元和5年)徳川秀忠によるキリシタン禁令の高札設置などの度重なるキリスト教の禁止を経て、1629年(寛永6年)に絵踏を導入、以来、年に数度「キリシタン狩り」のために前述したキリストや聖母が彫られた板などを踏ませ、それを拒んだ場合はキリスト教徒として逮捕、処罰したとされる。踏み絵の発案は、オランダ人によるアイデア説・沢野忠庵説など様々であるが不明である。

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初期の段階では『キリシタン狩り』に効果があったとされたが、後には役人の前では堂々と踏み絵を踏み、後に密かに神に祈って許しを請う信者が現れ、後期には必ずしも『キリシタン狩り』の効果は上がらなかったといわれている。(内面でしっかりとキリスト教を信仰さえすればよいという考え方が広まったため)

1856年4月13日(安政3年3月9日)、長崎・下田などの開港地で踏み絵が廃止される。 しかし、キリスト教に対する弾圧は1873年(明治6年)に明治政府がキリシタン禁制の高札を撤去するまで続いた。

2009年12月01日

動物保護と環境保全

動物個体の権利・福祉を目的とする団体と、生態系や生物群集・個体群の保全を目的とする自然保護や環境保全の活動は似て非なるところがあり、むしろ主張や方針が対立することもある。前者は個々の動物の生存・権利・福祉を最重要視するあまり、生態系全体を省みることがない場合である。

生態系や生物群集・個体群の保全には、個体の生存・権利・福祉をある程度犠牲にしなければ成り立たないことがあり、生態系維持のためには、生態系を撹乱する外来種(ブラックバス等)や異常増加した野生鳥獣(シカ等)を防除せねばならないが、中にはこの外来種個体の保護を訴える団体も無くはない。
フェンシング
腎臓病
相撲
図書館
縄跳び
悪性高熱症
風水
アメリカンフットボール
衛星放送
アスペルガー症候群
例えば奄美大島にハブ駆除のために放されたジャワマングースはアマミノクロウサギをはじめとする固有種の個体群の脅威であり絶滅の縁に追いやっているため、駆除事業が展開されているが、動物愛護団体にはジャワマングースの個体の生存権を主張し、駆除事業の中止を求める団体もある。自然保護、環境保全の立場においては奄美大島の生態系に適合しないジャワマングースの存在がアマミノクロウサギなどの固有種の存続を脅かすことを回避すべき問題点とし、そのためにはジャワマングースの個体の命を断つことによる排除はやむをえないと判断することが多いのに対して、しばしば動物愛護の立場においては人間が恣意的直接行動によりジャワマングースという動物個体の生命を脅かす行為を止めるべき悪とみなす考えが存在するためである。

同種の問題では野良猫の場合に於いて対馬のツシマヤマネコや西表島のイリオモテヤマネコとの交雑問題やネコ固有の感染症の媒介者としての問題も指摘されるが、この過程で捕獲された野良猫の扱いを非難する団体も見られる。

2009年11月27日

哨戒飛行艇

飛行艇は、滑走路長という束縛が無いことから大型化が容易であり、また、陸上機とは異なり、洋上飛行中にトラブルが発生しても、着水することで重大な事態を回避できる見込みがあることから、第二次世界大戦前後には、対潜哨戒機として多用されており、アメリカのP3Y(PBY) カタリナは連合国で広く使用されたほか、後継のマーチン・マリナー、イギリスのショート サンダーランド、日本の二式飛行艇などがある。

戦後、アメリカは1960年代までP5M マーリンを運用していたが、地上配備機および艦上機、艦載対潜ヘリコプターの配備の進展、技術進歩による各種装備の小型化に伴い、最終的には、固定翼機やヘリコプターにその座を譲ることとなった。一方、ソ連は、ベリエフBe-6を経てBe-12を開発し、1965年より配備に入ったが、これは傑作飛行艇として、2009年現在でも運用が継続されている。

オレンジ活用
靴に囲まれて
ステキ・手作り
テニス
転勤
棚田
オーケストラ
体外離脱
射撃
栄養ドリンク
また、日本は、飛行艇が着水して吊下ソナーを使用できるという独特の特長に注目してPS-1を開発した。しかし、実際には着水してのソナー吊下は稀であり、当時の新鋭陸上機と同等の対潜哨戒機器を活用して、通常の対潜哨戒機として運用されていた。これらの飛行艇を参考にして、中国は水轟五型(SH-5)を開発し、1984年より配備を開始したが、これは現在のところ、飛行艇が対潜哨戒機として新規に配備された最後の例となっている。

2009年11月13日

新しい聖歌の成立

グレゴリオ聖歌のレパートリーは、ローマ典礼でつかうために編成されたものである。音楽学者ジェームス・マッキノンによれば、ローマ式ミサの典礼次第の基礎は7世紀末の短い期間にまとめられたものである。一方、Andreas Pfisterer や Peter Jeffery などの他の研究者は、レパートリーの最古の部分はより古い時期に起源を持つものだと主張している。
泣き虫・象さん
京都のおばさん
桐美のブログ
苦い時間
君こそスターだ
月のうさぎ
孤独なシンデレラ
幸せアルバム
紅花生活奮闘記
座敷わらしの孤独

研究者の論点は、聖歌旋律の主要部分が7世紀以前のローマに起源を持つものなのか、あるいは8世紀から9世紀初頭のフランク王国に起源を持つものなのかという点である。伝統的な通説を支持する人々は、590年から604年に在位した教皇グレゴリウス1世の果たした役割の大きさを指摘している。しかし、ウィリー・アーペルや Robert Snow によって支持されている、現在の研究者たちの見解では、グレゴリオ聖歌は750年頃以降にカロリング朝フランスにおいて、ローマ聖歌とガリア聖歌を統合、発展させたものと考えられている。教皇ステファヌス3世は752年から3年にかけてガリアを訪れた際に、ローマ聖歌を用いてミサをたてた。カール大帝によれば、その父ピピン3世は、ローマとの関係を強化するために、ガリア典礼を廃止してローマ式に換えたという。785年から6年には、カール大帝の要望に応え、教皇ハドリアヌス1世が、ローマ聖歌を含んだ聖礼典式書をカロリング朝宮廷へ送っている。その後、このローマ聖歌は現地のガリア聖歌の影響を受けて改変されつつ記譜され、さらに8つの教会旋法へと整えられていく。このフランク・ローマ折衷のカロリング聖歌は、教会暦上不足していたものを新しい聖歌で補いながら、「グレゴリオ聖歌」として完成することになる。

2009年11月02日

海難事故

海難事故(かいなんじこ)とは、船舶の運用中に起きた事故のこと。難破とも言う。

文字どおりには海で起こる事故全般を意味する。しかし、本項では海難審判法2条に定義される「海難」を中心とした船舶に関する事故について述べる。川や湖で起こるものも含む。

船舶の運用に関連した船舶又は船舶以外の施設の損傷(海難審判法2条1号)
船舶の構造、設備又は運用に関連した人の死傷(海難審判法2条2号)
船舶の安全又は運航の阻害(海難審判法2条3号)
類義語に水難事故(すいなんじこ)がある。ただしこの語には船舶の事故に限る意味合いはなく、船舶以外(海水浴など)について使うことも多い。

一般的に、戦争に起因する被害は海難事故に含まれないことが多い。
海難事故の原因となるものには、以下のようなものがある(例示)。
なまはげの秘密
ハッピータイム
ひとりあそび
フルーツ天国
ホラー大好き!
めざましマーケット情報
ヨークシャな日記
ワンコ健康診断
一真の言語道断
沖縄紀行

船員の操船技術に関連するもの
操縦のミスによるもの。
船員の操船判断に関連するもの
気象・海象に対する不注意、天候の読み違えによるもの、海洋法規や慣行の解釈ミス・誤解によるもの、見張り不十分による他船・桟橋・氷山との接触・衝突など。
船舶の堪航能力に関連するもの
設計ミス、材質の強度不足、構造欠陥などによるもの。小規模な船体損傷から船体折損などの重大なものまで、さまざまなものがある。当初予定していたものとは別の用途に転用されるなどした際に、問題点が顕在化するケースなどもある(運用の問題とも関係する)。

2009年10月23日

出資者の有限責任

法人格のコロラリーである。会社に対する債権者(会社債権者)は、会社の財産に対してのみ債権を行使することができ、株主(出資者)の財産に対して債権を行使することはできないという原則を、株主(出資者)の有限責任という。すなわち、株主の責任は、引き受けた株式について出資の履行を行ったことで果たされており、会社の債務について会社債権者に対して責任を負わない。法人格が、会社の財産を株主の債権者から守るものであるのに対し、有限責任は、株主の財産を会社の債権者から守るものであるといえる。

これは、出資をしようとする者にとってのリスクを限定することによって、多数の出資者から広く出資を集めることを可能にするためのものである。また、有限責任によって出資者と会社債権者との間のリスクの分配が明確になるため、出資持分(株式)の譲渡が容易になり、会社債権者との取引も容易になる[7]。有限責任を認めることによって、会社がある事業を行うために子会社を設立して、事業失敗による損失のリスクを限定することも可能である。
おしゃれな吉祥寺
お子様ランチ
ギャンブル馬鹿 
コーヒーの木
サンキュー
ズッコケ男道
タルトちゃん
とんがり帽子
ハチミツマーヤ
ピッチの表現の自由
ブレンドコーヒー
マイクマン
ももたろう
レタスの雑記帳
飴色の部屋
王子のコンピュータ入門
花いちもんめ
楽しい暮らしライフ情報サイト
丘を越えて
空っぽの世界
幸せビーム!
雑学物知り日記
主婦の気ままな案内
将棋王国
心優の触らぬ神に祟りなし
星空カーニバル
雪のプリンセス
大空の千客万来
天下のかかぁITニーズ
二者択一の遥稀
美桜の美学
北風カンタロウ地域発見
唯斗のひみつ
陽向のおもちゃ
隣りのみほちゃん
3匹のこぶた
アップ生活ステーション情報
アンコラの経営戦略
うちの家憲
おしゃべり人間
お花畑
かわいい瑛太
グレーハウンド

かつては、出資者は会社の債務について無限責任を負うこととされていたが、今日では有限責任は普遍的な制度となっている。もっとも、日本の合名会社、合資会社においては、全部又は一部の社員が会社の債務について無限責任を負う。

有限責任の下では、会社債権者にとっては会社の財産だけが責任財産となることから、会社債権者の保護も会社法の課題となる。

2009年06月22日

監視カメラの設置者に対して、警察から画像の

監視カメラの設置者に対して、警察から画像の提供を依頼されることがよくある。この場合、使用している機種やソフトにもよるが、一般的な動画ソフトが利用できず専用のソフトが必要な場合がある。たいてい画像保存用サーバにメモリカード(CFなど)のインターフェースがあり外部に出力できるようになっている。もちろん再生しながらビデオテープにダビングすることも可能だが時間がかかるのでデータをコピーするのが一般的である。
ケーブルもカードも用意できない状況下においては、再生した液晶画面をそのままビデオ撮影・録画することもある。

「CCTV、Closed-circuit Television」はケーブルで結ばれたカメラとTV間だけの閉じた回路のTVという意味である。TVカメラそのものは開いた回路と捉えてよい電波を使って一般に公開する放送用を主なる用途として最初に使われ出した。その後放送とは用途が異なる監視だけの限定した用途のカメラが出現し、監視として閉じた回路と範囲で使われClosed Circuit、CCTVと呼ばれた。しかし、インターネットやLANを介しても監視を行える事となり、Closed(閉じた)回路としての捉え方は無くなり、仕様や機能的に本来のCCTVと呼ぶカメラは少なくなりつつある。
商店街など公共の場への監視カメラの設置を巡っては、肖像権・プライバシーとの関連や、監視されるイメージへの拒否感などから議論になることが多い。
法的規制として、「行政機関等による監視カメラの設置等の適正化に関する法律」案が、第156回通常国会(議案受理は2003年7月24日)において衆議院に提出されたが審議未了で廃案となった。
思い出の童謡集
アジアの歴史
太陽のお話
百人一首
やすらぎ★アロマ
かわいいペット・秋田犬
紅茶伝説
医学・女性のための情報集
バラ・ローズのため息
楽しいかたかな
テーマパーク
狂言
クロマトグラフィ
軟体動物
産科学
同人誌
博物館
図書館
振付師
生化学

地方自治体によっては、東京都杉並区のようにカメラの設置に独自の基準を定めている場合がある。しかし、統一的な基準は2007年現在においては存在しない。
裁判の判例のひとつとして、隣人が自宅の敷地内に勝手にゴミを投げ入れて迷惑だとして隣人の方向へ監視カメラを取り付けてゴミの投げ入れの監視を行ったところ、その隣人から訴えられるといった裁判があり、隣人へのプライバシーの侵害が認められて慰謝料の支払いが命じられた。

2009年06月05日

岩城氏(いわきし)は、陸奥国の浜通り南部

岩城氏(いわきし)は、陸奥国の浜通り南部を支配した大身。

岩城氏は常陸平氏の血を汲む名族であり、その子孫が奥州に土着したことが岩城氏の始まりであると言われているが、常陸平氏とは別系統で石城国造の末裔であるとも言われている。「海道平氏」とも称される。楢葉氏、標葉氏、岩崎氏、行方氏が同族として挙げられることが多い。

平安時代に清原氏と奥州藤原氏と関係が深く、岩城則道の子とも安忠、繁衡の子とも言われる成衡が清原氏に養子に入ったほか、清原氏の出自自体も岩城氏の流れとする見解もある。また、祖の岩城則道の正室は奥州藤原氏出身といわれる。

鎌倉時代は地頭職に過ぎず、好嶋庄の預所職である伊賀氏とたびたび訴訟で争った記録が残されている。鎌倉時代の伊賀氏は備前や美濃にも所領を持つ有力御家人であったが、南北朝時代、海道検断職まで務めた伊賀盛光が出た後、陸奥における伊賀氏の勢力は衰退を始め代わって岩城隆泰が台頭し、衰退した伊賀氏(飯野氏)などを支配下に置き、磐城一帯の領国支配に成功した。隆泰以降しばらく動静が不明瞭になるが、岩城氏内部においても一族の争いがあり、岩城隆忠が嘉吉の内紛(岩城左馬助の乱)を抑えて以降は隆忠の系統が当主になったとみられている。岩城親隆・岩城常隆・岩城由隆は佐竹氏や白河結城氏の内紛に介入し、軍事的にも外交的にも成果を収め、大館城(飯野平城)を建設し、常陸国から南東北にかけて勢力を伸ばした。岩城氏は全盛期を迎えた。

しかし戦国時代に入ると、相馬氏や田村氏といった近隣国人との抗争が激化し、さらに伊達氏、蘆名氏、佐竹氏などの勢力が強まったため、その狭間で岩城氏の影響力は減退した。戦国時代中期の当主・重隆は娘(久保姫)を伊達晴宗に嫁がせ、その嫡男である親隆を養嗣子として迎え、伊達氏との関係を強め佐竹氏や田村氏と争った。しかし親隆の時代には勢力を強めた佐竹義昭、佐竹義重との抗争に苦しめられ、佐竹氏から妻を迎えたものの親隆時代の末期と子の常隆の時代には一時佐竹氏に家中の主導権を握られる状況になった。

常隆の時代には親隆の実弟の伊達輝宗とその息子政宗が南奥州で勢力を増したため、岩城氏もその圧迫に悩まされることになった。伊達政宗の妻は岩城氏の宿敵である田村氏の娘であったため、常隆は伊達氏より離反し佐竹氏との関係を強めるが、伊達政宗が蘆名氏を破って南奥州を制覇すると、再び伊達氏と接近した。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐が勃発すると、岩城常隆は小田原に参陣することで、所領を安堵された。常隆は小田原征伐直後に病死し、子(政隆)が幼少であったため、常隆の後継には佐竹義重の三男・岩城貞隆が継いだ。
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1600年、関ヶ原の戦いでは、当初は東軍方になったが、実兄の佐竹義宣の命に従って、上杉景勝征伐に参加しなかったため、戦後、磐城12万石は没収されてしまった。この頃、岩城家の一部が、紀伊半島の白浜へ移住し、現在の南紀白浜地区を最初に開拓した。白浜の岩城家の地位は定かではないが、士族として明治維新を迎えた。維新後、白浜岩城家の数家が、屯田兵として北海道へ渡り、愛別町、白滝村を開拓した。

後に貞隆は信濃中村藩(川中島藩)1万石の創設を許される。その息子である岩城吉隆は出羽亀田藩の藩主であったが、子供のなかった伯父・佐竹義宣の養子に迎えられて秋田藩第2代藩主「佐竹義隆」となる。このため、今度は義宣・貞隆の弟(吉隆の叔父)にあたる多賀谷宣家が岩城氏に迎えられて「岩城宣隆」と名乗った。

岩城貞隆が岩城氏を継いだときに常隆には政隆という実子がいたが、幼少であったため、秀吉の意向で佐竹氏より貞隆を養子に迎えることになり、政隆は伊達氏の家臣となった(岩谷堂伊達家)。ところが、後に貞隆・宣隆の系統が断絶した結果、伊達氏から急遽迎えることになった養子は政隆の直系の子孫である岩城隆恭であった。このため、親隆-常隆の系統が150年ぶりに岩城氏当主に返り咲くことになった。

だが、このことが宗家である秋田藩との関係に亀裂を生むことになり、幕末には奥羽越列藩同盟に参加して官軍側に付いた秋田藩と対立するなど苦難の歴史を歩むことになった。

2009年05月02日

生物多様性基本法案の成立

日本国内法として、「生物多様性基本法案」が2008年5月20日に可決された。同法案は、人類存続の基盤である生物の多様性を将来にわたり確保するため、国、地方公共団体、事業者、国民の責務を明確にすることで環境保全等に関する施策を総合的かつ計画的に推進するものである。

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最大の特徴は、開発計画を立てる際に環境アセスメントを行うことを義務付けたことである。これまで、日本における大型開発などで環境が破壊されるたびに、開発推進派と環境保全派との激しい論戦が交わされてきた。同法案の成立によって、今後より適切な環境論議がなされるものと考えられている。
創始者効果(海洋の生物多様性研究への展開)
生物多様性の研究分野は、狭い対象に集中しており、開始した人々の興味分野、すなわち陸生動物について過度に定義されていると批評を受けてきた。この研究内容の偏りはノースとアイリッシュによって「創始者効果」と名づけられた。

フランスとリグは、1998年に生物多様性の文献を総括して、海洋の生態系の研究論文が不足していることを見出し[18] 、海洋の生物多様性研究を「手に負えない大問題」と呼んだ。接近しにくい深海領域よりも、サンゴ礁など接近しやすく多様な沿岸の系について、より多くの研究がなされてきた。今後、海洋環境保全は、生物海洋学の海洋生態系の分類と生物種データ収集に関する方法論的問題を解くのと同様に、新しくて国際的なメカニズムを開発しなければならない。

生物の大きさに関する偏り(微生物の多様性について)
生物多様性研究者ショーン・ネイは、地球上の生物多様性を構成している生物の大多数は微生物であり、現在の生物多様性の研究は物理的に「目に見える世界に固定されている」と指摘した(ネイは「目に見える」を「巨視的」の同義語として使っている)[19]。微生物は、多細胞生物と比較すると、代謝的にも環境的にも非常に多様である。「リボソームの小サブユニットRNAの解析に基づけば、生命は3系統に分岐しているが、見える生命はそれほど注目すべき分岐枝ではない」と、ネイは述べている。これは驚くにあたらない…というのは、「目に見える生物」が現れるまで、「目に見えない生物」(微生物)には、進化を進め多様化する20億年以上の時空間があったためである

しかしながら、これに対する反論として、生物多様性の保全として「排他的に目に見える種に焦点を合わせた」ことは決してないということが指摘できる。 当初から、生物群集や生態系の型の分類・保全は、生物多様性研究の主体であった。生物分類から漏れている「目に見えない多様性」は「目に見える多様性」と同様に扱うことができなかったが、この過去の多様性保全の思想から、生態系の多様性を維持する最善の手段をとってきている。したがって、過去の生物多様性の研究の成果は、生態系を構成している「目に見えない生物」の多様性も可能な限り維持してきたと言える。

2009年04月18日

狩猟(しゅりょう)

狩猟(しゅりょう)とは、野生動物特に鳥類・哺乳類を捕獲することである。ハンティング (Hunting)ともいう。

漁労や採集活動と並んで、人間社会の最初期から存在する生業とされている。

狩猟の最たる目的は、肉・皮革・油脂・羽毛・骨・牙といった、人間の生活に不可欠なものや産業的に価値のある資材を獲得することである。農耕や牧畜の普及以前から今日に至るまで世界の随所で行われている。時代が降りるにつれ、牧畜業が発達した地域では食糧を得る目的での狩猟は減少した。

近代以降は、生活の必需品を得る目的よりも象牙やアザラシ・ヒョウの毛皮といった特に商品価値の高い資材の獲得を目的に大規模な狩猟が行われ、特定の種の生息数が激減するなどの生態系への深刻な影響が現れている。狩猟が行われる地域の法規や、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)で制限が加えられても密猟は後を絶たない。

第二の目的は人間の生活環境にとって不都合を起こす動物を駆除することである。これには主に3つのケースがある。ひとつは直接的に人間や住居を襲う動物を撃退すること、次は飼育している動物や栽培している植物を捕食する動物を駆除すること、もうひとつは従来は存在しなかった外来種の侵入により生態系が乱されることの防止策として選択的に駆除することである。この目的の特殊な例として、人間が特定の種の個体数を意図的に増加・減少させてしまった結果、その生態系のバランスが崩れ、それを修正するために別の種を狩猟するというかたちがある。この目的で捕獲した鳥獣は、副次的に資材を得るために用いる場合がある。

第三の目的は、趣味としてで、自然の中で鳥獣を狩る為の知識と判断を試したり、猟犬や猟友との連携を楽しむ事を一義としたものである。日本における鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律では、捕獲した鳥獣そのものや、残滓の放置は禁じられており、持ち帰る事が義務付けられている。鳥獣の体を食用にする以外に剥製にして観賞用とする事も多い。古い時代では貴族・王族といった特権階級や富裕層の間で行われ、また武士のような戦士階級の軍事演習としても行われたが、近現代においては許認可を受けた一般市民においても行われる。

集団による狩猟
アフリカ熱帯雨林に暮らす人々や、日本における銃を用いた大型獣の狩猟などは、集団によって行われる。日本のシカやイノシシ猟を例にとると、グループの中で獲物を追い立てる役と、獲物の逃げ道沿いに待ち伏せをして銃を構えている役とに別れて狩猟する。

このように集団で捕った獲物は、狩猟の参加者あるいは村落全体で配分されるという事例が、日本においても、サン人、ムブティ族などアフリカにおいてもみられる。
マルバタ クロスレ シュール しばざくら アスク たいざん ロスカ チーズ 白爵南瓜 モルガ ユーボ 冬の星座 ライオン いろはに ピーク ハスカ リッペ リーズ ダイヤ 雪の駅 マネタ ファース グラス おくやま スピンオフ スカッド レンジャー レジスタ バルキー 寄居かぶ メキシコ へきぎょく ダージジ パサク はま スティン つるむら 京野菜 コリンズ プール ギミッ デカル マンネリ ハイガイド トークッシ ロンティー サイトバラ メガ最適 ミズム どうちゃく

狩猟による環境への影響
銃弾による水鳥の鉛汚染
現代の狩猟で鳥類を捕獲する場合は、主に散弾銃を用いて行う。この実包の中には鉛でできた散弾が多数封入されている。鳥類には砂のうに小さな土石の粒を蓄える種があり、それらが土や小石等と一緒に散弾をついばむことで体内に鉛をためてしまうことにつながり、鉛中毒で死に至る。この問題は水辺に放出された鉛散弾を水鳥が摂取することで発生する。陸鳥が鉛散弾を摂取して中毒となった例は報告がない。
対応として、散弾の素材を鉛以外の金属(スチール・ビスマス・錫・タングステンポリマー等)を用いた散弾実包が製造されている。また、その使用義務が日本国内でも一部地域にある。しかし既に水辺に放出された鉛散弾が深く沈下するまでには数十年かかるため、水鳥鉛中毒の発生は徐々にしか減少しないと考えられている。
銃弾によるワシ類の鉛汚染
北海道のエゾシカ猟に代表される鹿猟では、散弾銃にスラッグ弾を込めたもの、あるいはライフル銃が用いられる。この鉛でできた実包で鹿を撃ち、被弾部位を含む残滓を放置すると、ワシ類やカラスなどがそれを食べる。この際、被弾部位にちらばった細かい鉛弾が砂のうに蓄えられ、散弾による水鳥の鉛中毒と同じように、ワシ類でも鉛中毒が引き起こされる。
対応として、鉛以外の金属(銅、タングステンポリマー等)を用いたスラッグ弾あるいはライフル弾の実包が製造されている。北海道では鉛弾の利用は全面的に禁止されており、宮城県などの地域でも使用禁止が広がってきている。北海道では、平成10年度に回収されたワシの死体のうち約80%が鉛中毒だったが、平成17年度にはその比率が10%未満に減少している。完全に0にならない理由として、違法な狩猟者の存在や、既に半矢で体内に鉛弾を有している個体の存在が挙げられている。
個体数のバランス崩壊
生態系は、よく知られる食物連鎖のほか、未解明のものも含めて極めて複雑なメカニズムによって各種生物の個体数や生息地域のバランスが保たれている。しかしこのメカニズムに人為的な介入が加えられると、バランスが大きく崩壊する場合がある。狩猟鳥獣の生態数は、狩猟者が狩猟期間終了後に提出する種別毎の捕獲数や捕獲場所の情報も含めて調査されており、著しく減少した場合は、一時的に捕獲禁止規制が実施され、生態数の回復が図られる。しかし実際には狩猟圧よりも生息環境の悪化が捕獲数減少を引き起こしているという意見もある。キジやヤマドリなどはメスの捕獲が禁止されており、基本的に生殖上の余剰オスを狩猟する形になっている。これを調査するために猟期初期のオス・メス別の出会い数調査も行われている。その比率はおおむね 1:1 となっており、これは現在の捕獲数が余剰オスの範囲であることを意味し、捕獲禁止は意味がないとの意見もある。

日本国内における狩猟
日本国内では自然保護、動物愛護、住民の安全性の確保の必要性から、狩猟に使う道具、期間、場所が厳しく制限されており各猟方に応じた狩猟免許を取得したうえで狩猟者登録をして行う。職業として狩猟を行う人々を東北地方ではマタギといい、独特の習俗があった。