2009年06月22日

監視カメラの設置者に対して、警察から画像の

監視カメラの設置者に対して、警察から画像の提供を依頼されることがよくある。この場合、使用している機種やソフトにもよるが、一般的な動画ソフトが利用できず専用のソフトが必要な場合がある。たいてい画像保存用サーバにメモリカード(CFなど)のインターフェースがあり外部に出力できるようになっている。もちろん再生しながらビデオテープにダビングすることも可能だが時間がかかるのでデータをコピーするのが一般的である。
ケーブルもカードも用意できない状況下においては、再生した液晶画面をそのままビデオ撮影・録画することもある。

「CCTV、Closed-circuit Television」はケーブルで結ばれたカメラとTV間だけの閉じた回路のTVという意味である。TVカメラそのものは開いた回路と捉えてよい電波を使って一般に公開する放送用を主なる用途として最初に使われ出した。その後放送とは用途が異なる監視だけの限定した用途のカメラが出現し、監視として閉じた回路と範囲で使われClosed Circuit、CCTVと呼ばれた。しかし、インターネットやLANを介しても監視を行える事となり、Closed(閉じた)回路としての捉え方は無くなり、仕様や機能的に本来のCCTVと呼ぶカメラは少なくなりつつある。
商店街など公共の場への監視カメラの設置を巡っては、肖像権・プライバシーとの関連や、監視されるイメージへの拒否感などから議論になることが多い。
法的規制として、「行政機関等による監視カメラの設置等の適正化に関する法律」案が、第156回通常国会(議案受理は2003年7月24日)において衆議院に提出されたが審議未了で廃案となった。
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地方自治体によっては、東京都杉並区のようにカメラの設置に独自の基準を定めている場合がある。しかし、統一的な基準は2007年現在においては存在しない。
裁判の判例のひとつとして、隣人が自宅の敷地内に勝手にゴミを投げ入れて迷惑だとして隣人の方向へ監視カメラを取り付けてゴミの投げ入れの監視を行ったところ、その隣人から訴えられるといった裁判があり、隣人へのプライバシーの侵害が認められて慰謝料の支払いが命じられた。

2009年06月05日

岩城氏(いわきし)は、陸奥国の浜通り南部

岩城氏(いわきし)は、陸奥国の浜通り南部を支配した大身。

岩城氏は常陸平氏の血を汲む名族であり、その子孫が奥州に土着したことが岩城氏の始まりであると言われているが、常陸平氏とは別系統で石城国造の末裔であるとも言われている。「海道平氏」とも称される。楢葉氏、標葉氏、岩崎氏、行方氏が同族として挙げられることが多い。

平安時代に清原氏と奥州藤原氏と関係が深く、岩城則道の子とも安忠、繁衡の子とも言われる成衡が清原氏に養子に入ったほか、清原氏の出自自体も岩城氏の流れとする見解もある。また、祖の岩城則道の正室は奥州藤原氏出身といわれる。

鎌倉時代は地頭職に過ぎず、好嶋庄の預所職である伊賀氏とたびたび訴訟で争った記録が残されている。鎌倉時代の伊賀氏は備前や美濃にも所領を持つ有力御家人であったが、南北朝時代、海道検断職まで務めた伊賀盛光が出た後、陸奥における伊賀氏の勢力は衰退を始め代わって岩城隆泰が台頭し、衰退した伊賀氏(飯野氏)などを支配下に置き、磐城一帯の領国支配に成功した。隆泰以降しばらく動静が不明瞭になるが、岩城氏内部においても一族の争いがあり、岩城隆忠が嘉吉の内紛(岩城左馬助の乱)を抑えて以降は隆忠の系統が当主になったとみられている。岩城親隆・岩城常隆・岩城由隆は佐竹氏や白河結城氏の内紛に介入し、軍事的にも外交的にも成果を収め、大館城(飯野平城)を建設し、常陸国から南東北にかけて勢力を伸ばした。岩城氏は全盛期を迎えた。

しかし戦国時代に入ると、相馬氏や田村氏といった近隣国人との抗争が激化し、さらに伊達氏、蘆名氏、佐竹氏などの勢力が強まったため、その狭間で岩城氏の影響力は減退した。戦国時代中期の当主・重隆は娘(久保姫)を伊達晴宗に嫁がせ、その嫡男である親隆を養嗣子として迎え、伊達氏との関係を強め佐竹氏や田村氏と争った。しかし親隆の時代には勢力を強めた佐竹義昭、佐竹義重との抗争に苦しめられ、佐竹氏から妻を迎えたものの親隆時代の末期と子の常隆の時代には一時佐竹氏に家中の主導権を握られる状況になった。

常隆の時代には親隆の実弟の伊達輝宗とその息子政宗が南奥州で勢力を増したため、岩城氏もその圧迫に悩まされることになった。伊達政宗の妻は岩城氏の宿敵である田村氏の娘であったため、常隆は伊達氏より離反し佐竹氏との関係を強めるが、伊達政宗が蘆名氏を破って南奥州を制覇すると、再び伊達氏と接近した。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐が勃発すると、岩城常隆は小田原に参陣することで、所領を安堵された。常隆は小田原征伐直後に病死し、子(政隆)が幼少であったため、常隆の後継には佐竹義重の三男・岩城貞隆が継いだ。
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1600年、関ヶ原の戦いでは、当初は東軍方になったが、実兄の佐竹義宣の命に従って、上杉景勝征伐に参加しなかったため、戦後、磐城12万石は没収されてしまった。この頃、岩城家の一部が、紀伊半島の白浜へ移住し、現在の南紀白浜地区を最初に開拓した。白浜の岩城家の地位は定かではないが、士族として明治維新を迎えた。維新後、白浜岩城家の数家が、屯田兵として北海道へ渡り、愛別町、白滝村を開拓した。

後に貞隆は信濃中村藩(川中島藩)1万石の創設を許される。その息子である岩城吉隆は出羽亀田藩の藩主であったが、子供のなかった伯父・佐竹義宣の養子に迎えられて秋田藩第2代藩主「佐竹義隆」となる。このため、今度は義宣・貞隆の弟(吉隆の叔父)にあたる多賀谷宣家が岩城氏に迎えられて「岩城宣隆」と名乗った。

岩城貞隆が岩城氏を継いだときに常隆には政隆という実子がいたが、幼少であったため、秀吉の意向で佐竹氏より貞隆を養子に迎えることになり、政隆は伊達氏の家臣となった(岩谷堂伊達家)。ところが、後に貞隆・宣隆の系統が断絶した結果、伊達氏から急遽迎えることになった養子は政隆の直系の子孫である岩城隆恭であった。このため、親隆-常隆の系統が150年ぶりに岩城氏当主に返り咲くことになった。

だが、このことが宗家である秋田藩との関係に亀裂を生むことになり、幕末には奥羽越列藩同盟に参加して官軍側に付いた秋田藩と対立するなど苦難の歴史を歩むことになった。

2009年05月02日

生物多様性基本法案の成立

日本国内法として、「生物多様性基本法案」が2008年5月20日に可決された。同法案は、人類存続の基盤である生物の多様性を将来にわたり確保するため、国、地方公共団体、事業者、国民の責務を明確にすることで環境保全等に関する施策を総合的かつ計画的に推進するものである。

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最大の特徴は、開発計画を立てる際に環境アセスメントを行うことを義務付けたことである。これまで、日本における大型開発などで環境が破壊されるたびに、開発推進派と環境保全派との激しい論戦が交わされてきた。同法案の成立によって、今後より適切な環境論議がなされるものと考えられている。
創始者効果(海洋の生物多様性研究への展開)
生物多様性の研究分野は、狭い対象に集中しており、開始した人々の興味分野、すなわち陸生動物について過度に定義されていると批評を受けてきた。この研究内容の偏りはノースとアイリッシュによって「創始者効果」と名づけられた。

フランスとリグは、1998年に生物多様性の文献を総括して、海洋の生態系の研究論文が不足していることを見出し[18] 、海洋の生物多様性研究を「手に負えない大問題」と呼んだ。接近しにくい深海領域よりも、サンゴ礁など接近しやすく多様な沿岸の系について、より多くの研究がなされてきた。今後、海洋環境保全は、生物海洋学の海洋生態系の分類と生物種データ収集に関する方法論的問題を解くのと同様に、新しくて国際的なメカニズムを開発しなければならない。

生物の大きさに関する偏り(微生物の多様性について)
生物多様性研究者ショーン・ネイは、地球上の生物多様性を構成している生物の大多数は微生物であり、現在の生物多様性の研究は物理的に「目に見える世界に固定されている」と指摘した(ネイは「目に見える」を「巨視的」の同義語として使っている)[19]。微生物は、多細胞生物と比較すると、代謝的にも環境的にも非常に多様である。「リボソームの小サブユニットRNAの解析に基づけば、生命は3系統に分岐しているが、見える生命はそれほど注目すべき分岐枝ではない」と、ネイは述べている。これは驚くにあたらない…というのは、「目に見える生物」が現れるまで、「目に見えない生物」(微生物)には、進化を進め多様化する20億年以上の時空間があったためである

しかしながら、これに対する反論として、生物多様性の保全として「排他的に目に見える種に焦点を合わせた」ことは決してないということが指摘できる。 当初から、生物群集や生態系の型の分類・保全は、生物多様性研究の主体であった。生物分類から漏れている「目に見えない多様性」は「目に見える多様性」と同様に扱うことができなかったが、この過去の多様性保全の思想から、生態系の多様性を維持する最善の手段をとってきている。したがって、過去の生物多様性の研究の成果は、生態系を構成している「目に見えない生物」の多様性も可能な限り維持してきたと言える。

2009年04月18日

狩猟(しゅりょう)

狩猟(しゅりょう)とは、野生動物特に鳥類・哺乳類を捕獲することである。ハンティング (Hunting)ともいう。

漁労や採集活動と並んで、人間社会の最初期から存在する生業とされている。

狩猟の最たる目的は、肉・皮革・油脂・羽毛・骨・牙といった、人間の生活に不可欠なものや産業的に価値のある資材を獲得することである。農耕や牧畜の普及以前から今日に至るまで世界の随所で行われている。時代が降りるにつれ、牧畜業が発達した地域では食糧を得る目的での狩猟は減少した。

近代以降は、生活の必需品を得る目的よりも象牙やアザラシ・ヒョウの毛皮といった特に商品価値の高い資材の獲得を目的に大規模な狩猟が行われ、特定の種の生息数が激減するなどの生態系への深刻な影響が現れている。狩猟が行われる地域の法規や、絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)で制限が加えられても密猟は後を絶たない。

第二の目的は人間の生活環境にとって不都合を起こす動物を駆除することである。これには主に3つのケースがある。ひとつは直接的に人間や住居を襲う動物を撃退すること、次は飼育している動物や栽培している植物を捕食する動物を駆除すること、もうひとつは従来は存在しなかった外来種の侵入により生態系が乱されることの防止策として選択的に駆除することである。この目的の特殊な例として、人間が特定の種の個体数を意図的に増加・減少させてしまった結果、その生態系のバランスが崩れ、それを修正するために別の種を狩猟するというかたちがある。この目的で捕獲した鳥獣は、副次的に資材を得るために用いる場合がある。

第三の目的は、趣味としてで、自然の中で鳥獣を狩る為の知識と判断を試したり、猟犬や猟友との連携を楽しむ事を一義としたものである。日本における鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律では、捕獲した鳥獣そのものや、残滓の放置は禁じられており、持ち帰る事が義務付けられている。鳥獣の体を食用にする以外に剥製にして観賞用とする事も多い。古い時代では貴族・王族といった特権階級や富裕層の間で行われ、また武士のような戦士階級の軍事演習としても行われたが、近現代においては許認可を受けた一般市民においても行われる。

集団による狩猟
アフリカ熱帯雨林に暮らす人々や、日本における銃を用いた大型獣の狩猟などは、集団によって行われる。日本のシカやイノシシ猟を例にとると、グループの中で獲物を追い立てる役と、獲物の逃げ道沿いに待ち伏せをして銃を構えている役とに別れて狩猟する。

このように集団で捕った獲物は、狩猟の参加者あるいは村落全体で配分されるという事例が、日本においても、サン人、ムブティ族などアフリカにおいてもみられる。
マルバタ クロスレ シュール しばざくら アスク たいざん ロスカ チーズ 白爵南瓜 モルガ ユーボ 冬の星座 ライオン いろはに ピーク ハスカ リッペ リーズ ダイヤ 雪の駅 マネタ ファース グラス おくやま スピンオフ スカッド レンジャー レジスタ バルキー 寄居かぶ メキシコ へきぎょく ダージジ パサク はま スティン つるむら 京野菜 コリンズ プール ギミッ デカル マンネリ ハイガイド トークッシ ロンティー サイトバラ メガ最適 ミズム どうちゃく

狩猟による環境への影響
銃弾による水鳥の鉛汚染
現代の狩猟で鳥類を捕獲する場合は、主に散弾銃を用いて行う。この実包の中には鉛でできた散弾が多数封入されている。鳥類には砂のうに小さな土石の粒を蓄える種があり、それらが土や小石等と一緒に散弾をついばむことで体内に鉛をためてしまうことにつながり、鉛中毒で死に至る。この問題は水辺に放出された鉛散弾を水鳥が摂取することで発生する。陸鳥が鉛散弾を摂取して中毒となった例は報告がない。
対応として、散弾の素材を鉛以外の金属(スチール・ビスマス・錫・タングステンポリマー等)を用いた散弾実包が製造されている。また、その使用義務が日本国内でも一部地域にある。しかし既に水辺に放出された鉛散弾が深く沈下するまでには数十年かかるため、水鳥鉛中毒の発生は徐々にしか減少しないと考えられている。
銃弾によるワシ類の鉛汚染
北海道のエゾシカ猟に代表される鹿猟では、散弾銃にスラッグ弾を込めたもの、あるいはライフル銃が用いられる。この鉛でできた実包で鹿を撃ち、被弾部位を含む残滓を放置すると、ワシ類やカラスなどがそれを食べる。この際、被弾部位にちらばった細かい鉛弾が砂のうに蓄えられ、散弾による水鳥の鉛中毒と同じように、ワシ類でも鉛中毒が引き起こされる。
対応として、鉛以外の金属(銅、タングステンポリマー等)を用いたスラッグ弾あるいはライフル弾の実包が製造されている。北海道では鉛弾の利用は全面的に禁止されており、宮城県などの地域でも使用禁止が広がってきている。北海道では、平成10年度に回収されたワシの死体のうち約80%が鉛中毒だったが、平成17年度にはその比率が10%未満に減少している。完全に0にならない理由として、違法な狩猟者の存在や、既に半矢で体内に鉛弾を有している個体の存在が挙げられている。
個体数のバランス崩壊
生態系は、よく知られる食物連鎖のほか、未解明のものも含めて極めて複雑なメカニズムによって各種生物の個体数や生息地域のバランスが保たれている。しかしこのメカニズムに人為的な介入が加えられると、バランスが大きく崩壊する場合がある。狩猟鳥獣の生態数は、狩猟者が狩猟期間終了後に提出する種別毎の捕獲数や捕獲場所の情報も含めて調査されており、著しく減少した場合は、一時的に捕獲禁止規制が実施され、生態数の回復が図られる。しかし実際には狩猟圧よりも生息環境の悪化が捕獲数減少を引き起こしているという意見もある。キジやヤマドリなどはメスの捕獲が禁止されており、基本的に生殖上の余剰オスを狩猟する形になっている。これを調査するために猟期初期のオス・メス別の出会い数調査も行われている。その比率はおおむね 1:1 となっており、これは現在の捕獲数が余剰オスの範囲であることを意味し、捕獲禁止は意味がないとの意見もある。

日本国内における狩猟
日本国内では自然保護、動物愛護、住民の安全性の確保の必要性から、狩猟に使う道具、期間、場所が厳しく制限されており各猟方に応じた狩猟免許を取得したうえで狩猟者登録をして行う。職業として狩猟を行う人々を東北地方ではマタギといい、独特の習俗があった。

2009年04月03日

禁手(禁じ手、きんじて)

禁手(禁じ手、きんじて)は、スポーツ、ゲームなどにおいて、安全性、公平性を設ける為に設定された禁止事項の事である。

スポーツの禁じ手 [編集]
格闘的なスポーツに多く、目つぶしなど、主に受けた相手が試合後も障害が残る行為を禁じ手にしている。

サッカーの禁じ手 [編集]
サッカーでは、危険行為全般を禁じ手としており、レッドカードなど即時退場処分になるなど重い処分が下される。

プロ野球の禁じ手 [編集]
プロ野球では打者の頭部への故意のデッドボールなども禁じ手の一つとされている。また、故意に一塁側にバントを続け、投手を潰すような作戦も事実上の禁じ手である。

相撲の禁じ手 [編集]
相撲では、髷を掴んだり、廻しの前袋を掴む事などをすると反則負けとなる。また、禁じ手や反則などを盛り込んだ初っ切りなどで観客に紹介される。また、力士には、相撲教習所で基本教育が施される。

格闘技の禁じ手 [編集]
格闘技はルールが多様化されているが、柔道、レスリング等の組技格闘技は打撃は一切禁止である。逆に打撃系格闘技は投げ、関節技、絞め技はほとんど禁止されている。 頭突き、肘打ち、倒れた相手を蹴る行為は有効な競技もあるが禁じ手にされているケースが多い。 全ての格闘技に共通する禁じ手といえば、金的、目潰し(サミング)、かみつきである。 裏を返せば、禁じ手にされている攻撃はそれだけ相手に与えるダメージも大きいともいえる。このため、故意に禁じ手を繰り出す選手もいる。
フェルト オレキ マッチ キャム プロポ オオセンナ パドルボ ダカー 国道18号線 ストー ヤン サンゴ ウェー ジグラート ないえ ショルダ イチゴ マリネ シュラフ デュポン ジェイペグ 古時計 スペクト ビージ レベル ゲッケイ カーン マエスト ツルウ オギジ レアメ スキーマ ネオジム ラズライ トリトマ ビレイ きあか スフィン レザー ジャムウ ファイ ファクト オキナグ ハイクラ ケフェウ ペクシ スノー チェンジ スケイ ダカール

連珠の禁じ手 [編集]
連珠ではゲームの性質上先手が有利である(禁手を一切設けない場合は先手必勝の方法が発見されている)ため、先手に束縛を加えることで公平に勝負できるようにしたものである。ハンディキャップの一種。

禁手は黒(先手)のみに設定され、三三、四四、長連が禁手となり、自ら打っても、相手に打たされてもその時点で負けとなる。このため、白番に限って黒に禁手を打たせて勝つ戦法がある。但し、黒が禁手を打ち白が黒の禁手に気づかずに次の手を打った場合は対局を続行させることができる。
白はいずれも打つことができ、長連ができても勝ちになる。 黒が五三三、五四四、五長連など五連と禁手が一手で同時にできた場合は黒の勝ちとなる。

将棋の禁じ手 [編集]
将棋では二歩や打ち歩詰め、動けない位置への駒の打ち込み(最上段に桂馬や香車、歩兵を打つ、上から二段目に桂馬を打つ)などは禁手であり、公式ルールではこのような手を指した時点で負けとなる。ただし、対局者が気づかずに対局が続いて決着がついてしまった場合はその決着が優先する。

囲碁の禁じ手 [編集]
囲碁においては自殺手やコウは禁じ手である。

2009年03月19日

三清山

三清山(さんせいざん、拼音: Sānqīng Shān )は江西省上饒市玉山県と徳興市の境界に位置し、玉山県の中心から約50キロメートル、上饒市から約78キロメートルに位置し、懐玉山脈にある。道教の名山であり、風景は秀麗である。三清山の名前は、「三峰(玉京、玉虚、玉華の三峰)の様子が高く険しく、まるで、三清が頂上に座っているかのようだ(三峰峻抜、如三清列坐其巓)」に由来する。三峰の中では、玉京峰が最も高く、海抜1819.9メートルである。2008年7月8日、カナダのケベック州で開催された第32回世界遺産大会で、登録が認められた。三清山は中国で7番目の世界自然遺産であり、江西省では現在唯一の世界自然遺産である。
東晋時代に葛洪がこの地で、不老不死の丹薬を作ったことがはじまりである。唐の僖宗の時代に、信州太守であった、王鑑が太守を解任された後、三清山で隠棲した。宋の時代に、王鑑の末裔である王霖が道観を建設し、三清山は道家の洞天福地となった。


名勝 [編集]
三清山は1988年8月、国家重点風景名勝区(zh)の中国国家4A級旅游景区(zh)に指定された。2005年9月には、三清山は中華人民共和国国土資源部より国家地質公園として認められた。三清山は野生の動植物の宝庫であり、22,950ヘクタールの公園内には、植物1000種類以上、動物800種類以上が存在する。
しょうや ムンバ イルラ 永遠の約束 ブースター サルフ 享禄 きんちゃく パンダル マネタリ アップ アート フラゲ ニュース 星かげ 月の宮 スタジ 野の花 リミット トラック 日本海 ケーソ ブラワサ じょうるり レビュー 未来世紀 ビッドレ オーバ ストーンカメ 女峰 ブッファ シャリン セイシェル ファイ シング スチーム ティグ バトル ストップ レーダー オーパーツ ブイエ デデリ ギブアップ ピラー 時計台 タネソウ サーチカヤ タイミ レジュ

三清山九大景区:南清園、万寿園、西海岸、陽光海岸、玉京峰、三清宮、西華台、三洞口、石鼓嶺、玉霊観
三清山十大絶景:司春女神、巨蟒出山、猴王献宝、玉女開懐、老道拝月、観音賞曲、葛洪献丹、神竜戯松、三竜出海、蒲牢鳴天

2009年03月04日

磁界王の異名を持つ最強のミュータントの一人

マグニートー(本名:エリック・マグナス・レーンシャー) (Magneto)
磁界王の異名を持つ最強のミュータントの一人。磁力を操り、あらゆる金属を意のままにする。核爆発に耐えうる電磁バリアを張ったり、地球の地磁気に影響を与えて地殻変動や地球の裏側の火山の噴火まで起こす。また、血中のヘモグロビンの鉄分を制御して他人の動きを操る。このように磁力の範囲は広範囲かつ尋常ではない強力さをもつ。ユダヤ人であり、第二次世界大戦時のホロコーストの生き残り。その時の非人道的な体験によって、冷酷な人格を持つようになる。人類はより優秀な生物であるミュータントに支配されるべきであるとの思想を持ち、かつての親友、プロフェッサーXと対立する。一時期、プロフェッサーXと和解してX-メンを指揮していたこともある。衛星軌道上にアステロイドMと名づけた秘密基地を保有している。X-メン時代は、のちのXフォースのメンバーで構成される若手グループ「ニューミュータンツ」の指揮もしており、彼らにとっては教師のような存在。ゆえに、Xフォースリーダーのケーブルには特別な敵意を持っている。コミックでは何度も若返っているため、実年齢と肉体年齢がかなり違う。クロスオーバーイベントであるハウス・オブ・Mの後、ミュータント能力を失っている。X-メンのシリーズ化にともないカリスマ性を帯びたキャラになったが、初期はよくいるただの超能力を私利私欲に使う小悪人であり、ファンタスティック・フォーなどに対してせこい作戦を弄して戦ったことがある。
チャールズ・エグゼビアが若い時にイスラエルで精神科医をしており、同じ病院の看護師をしていた。その縁からか、イスラエルの酒場のカウンターで一緒に酒を飲んでいたとき、チャールズ・エグゼビアの人生初の喧嘩を一緒にやることになる(ガラの悪い水夫達が足のない笛吹きを馬鹿にしたり酒をかけたりしてるのをチャールズが止め、喧嘩になる。その際にチャールズと一緒に14人の水夫と喧嘩になる)。カウンターで2人で酒を飲んでいたこのとき、「もしホモ・スペリオールなる人間が居たとしたら…」という話題で意見は割れるが、二人で「ホモ・スペリオールなる人間が居たとしてもまっとうに暮らせる世界」にしようと落ち着く。当時は非常に仲の良い友人で、マグニートは「あんたの話を聞いてるとなんでもできそうな気分になる」というようなことを語っている(酒場での話は「リージョンクエスト」にてプロフェッサーXがケーブルに語ってる回想シーン)。そして、リージョン(プロフェッサーXの息子)が現代からタイムトラベルしてマグニートを殺そうとするが、彼をかばったチャールズが誤って死んでしまう。これ時間軸が分岐することとなり、大きく変わったその歴史を「エイジ・オブ・アポカリプス(Age of APOCALYPSE/AoA)」と呼ぶ。チャールズの死によって、ミュータントによる適者生存を標榜するアポカリプスの侵攻が2000年早くなってしまった。AoA世界では、自分の身代わりになって死んだチャールズ・エグゼビアの遺志を継いで、アポカリプスに対抗するミュータントチームを創設。これにエグゼビアの名をとって、X-MENと名付け、自らも愛する者達や全ての命のために戦う。
秋日和 プレス タンポポ ダブル マイケル ビーカー ナリラ フェア ストリ テロメ シャープ オール シャッポ ゆりはま ユーアー フレア トルク リリシ マルチ ソファ ウテルス みこも コデマリ ノータッチ ヘルパー ミョウガ シビア ゼッケン プラー フィンランド 仙人掌 ゲル対策 美の気配 スタッカー ヌートリア パンサー グロビン かいづか プロポョン スイング オステ ノール おのいし お座敷 パラッツ ゆとう シナモン フットケア サポーター バスターズ

セイバートゥース(本名:ビクター・クリード) (Sabretooth)
ウルヴァリンと同じ超人兵士開発プロジェクトから生まれたミュータント。アダマンチウムで覆われた牙と怪力、超回復能力を武器とする。ウルヴァリンの過去(少なくともその一部)を知る人物。一時期はウルヴァリンの父親であるという偽の記憶を植えつけられていた。政治家「グレイドン・クリード (Graydon Creed) 」は、ミスティークとの間に生まれた実の息子(既に死亡している)。現在はX-メンに加入。映画には設定を変えて登場。
かつてテレパス能力をもち重火器の扱いに長けたミュータント・バーディーとコンビを組んで闘争本能の暴走を防いでいたが、グレイドンに殺害されている。日本ではゲームのセイバートゥースのサポートキャラ(一部の必殺技を出すと登場する)としての出演で有名。
ミスティーク(本名:レイブン・ダークホルム) (Mystique)
真紅の髪に青い肌を持つ女性テロリスト。全身の皮膚の形と色を自在に操り、服装こみでどんな人物にでも変装できる。現在はX-メンに加入。コミックではローグの養母にしてナイトクローラーとグレイドン・クリードの実母だが、映画ではこの設定は無い(なお、ナイトクローラーが兄である)。
トード(本名:モーティマー・トインビー(X-メンエボリューションではトッド・トランスキー)) (Toad)
短躯と醜貌に強いコンプレックスを持つ。トード(ヒキガエル)という通り名の通り、伸縮自在の強靭な舌と驚異的なジャンプ力、口から吐き出す粘着性の液が武器。
パイロ(本名:ジョン・アラダイス) (Pyro)
炎を自在に操る。但し発火能力は持っていないため、ライターや火炎放射器を持ち歩く。コミックではミュータントにのみ感染する致死性のウィルス、レガシー・ウィルスによって死亡した。映画版では元は『恵まれし子らの学園』の生徒でローグやアイスマンの同級生だったが、パート2ラストでミュータントを差別する人間(フラットスキャン)を見限りマグニートーの元に走る。
ジャガーノート(本名:ケイン・マルコ) (Juggernaut)
プロフェッサーXの義兄(彼の実父とプロフェッサーXの実母が再婚)。自分の実の父がチャールズばかりを可愛がる事を妬んで子供の頃から不仲であった。一度軍人になるも脱走し、その後、異教の魔神の力を秘めた赤い宝石「サイトラックの魔石」を偶然手に入れる。その魔力でハルク (Hulk) に比肩するほどの恐るべき突進力と破壊力、頑強な肉体を手に入れて現在の姿になった(あくまで石の魔力で超人になっているのであって、ミュータントではない)。あまり理性的、知性的な人物とは言いがたい。相棒のミュータント、ブラックトム (Black Tom Cassidy) が第二の突然変異を引き起こし、暴走した彼に殺されかけX-メンに助けを求めたのを機にプロフェッサーXと和解した。ダズラーという女性シンガー(元X-MEN所属のミュータント。当初は、ケインはそのことを知らなかった)の大ファンという一面を持つ。現在は、キャプテン・ブリテンがリーダーを務める「ニュー・エクスカリバー」に所属している。因みに、ダズラーも同チームのメンバーとなっている。なお映画ではこの設定は登場せず、同能力を持ったミュータントとして扱われている。
レディ・デスストライク(本名:ユリコ・オーヤマ) (Lady Deathstrike)
日本人。アダマンチウムの人体移植技術を開発したオーヤマ博士の娘。ウルヴァリンを自分の父の仇と信じ、スパイラルに自分もアダマンチウムの爪を持つサイボーグにしてもらい、ウルヴァリンを殺そうとする。ウルヴァリンとは異なり、腕の甲からではなく、指の爪が、アダマンチウムの爪に変化する。
映画には彼女、あるいは彼女のモデルとなるキャラ「ユリコ」が出てくる。ウルヴァリンと同じヒーリングファクターを持つなどやや異なる点がある。しかし、アダマンチウムを操れる人間の一人であるストライカー大佐に洗脳された彼の秘書、という点で非常に近い。最終的には、死闘の末、ウルヴァリンに溶解されているアダマンチウムを全身に流し込まれ、死亡した。
シルバー・サムライ(本名:ケンイチロウ・ハラダ) (Silver Samurai)
日本最大のヤクザ、ヤシダ家の総帥。銀色の甲冑に身をかため、エネルギー波を物質に発生させ、愛刀をタキオンブレードとしてあらゆるものを切断する能力を持つ。毒殺されたウルヴァリンの妻、マリコ・ヤシダの従兄。元X-メンメンバーでもある日本人ミュータント、サンファイアの親戚でもある。日本ではゲームの出演で有名である(映画には未登場)。本名は正しくは「Kenuichio Harada」だが、これはケンイチロウの誤植である。
スパイラル(本名:リタ) (Spiral)
番組視聴率が全てを支配する異次元世界(モジョ・バース)の支配者・モジョに作られた人工生命体。6本の腕を持ち、複数の刀剣類を同時に操る。日本ではテレビアニメとゲームの出演で有名(映画には未登場)。
ミスター・シニスター(本名:ナザニエル・エセックス) (Mister Sinister)
元々は19世紀の異端の生物学者であったが、その才能をアポカリプスに見込まれ、彼の弟子として不死の肉体を与えられMr・シニスターとなる。その後自らが世界を征服したいという欲望に駆られ、アポカリプスと袂を分かち、アポカリプスを倒せる究極のミュータントを創造することを生涯の目標とし、それの創造に最も適しているのがサイクロップスとジーンの遺伝子にあると知り、当時ジーンを死んだと思っていたサイクロップスにジーンのクローンであるマデリーン・プライヤーを近づけネイサンを生ませるも皮肉にアポカリプスによって奪われてしまう。その後も諦めるこなく究極のミュータントを創造するべく暗躍していく中で、ストライフの負の遺産であるレガシーウィルスを世に解き放ってしまう。なお、普段は策士として暗躍するだけで自ら戦闘を行うことはないが『オンスロート』ではX-マンを奪うべく、抵抗するX-フォースをあっさり退けるなど、戦闘能力の高さを示した。日本ではテレビアニメの出演で有名(映画とゲームには未登場)。
アポカリプス(本名:エン・サバー・ヌール) (Apocalypse)
黙示録の名を持つ怪人物。分子構造を自由に操ることができ、自分の体を自由に変えられる。約800km/hのスピード(クイックシルバー並)、ハルク並の怪力を持つ。知能も大変高い。「適者生存」を信念として4人のミュータントからなる「黙示録の四騎士(フォーホースメン)」を指揮し、人類壊滅を目論む。プロフェッサーXがX-メンを創設しなかったパラレルワールド(エイジ・オブ・アポカリプスの世界)では世界を支配していた。もともとは古代エジプト時代の奴隷であったがミュータント能力に目覚め(ファンタスティック・フォーのライズ・オブ・アポカリプス)、主君であったオジマンディアスを配下にし、適者生存(自分が適者という前提)という理想の世界を目指す。不老(ないし超長寿)のミュータントである「エクスターナル」の一人。日本ではテレビアニメとゲームの出演で有名(映画には未登場)。冷酷な人格をしているが、瀕死のX-メンを見逃したり、自分と戦って勝ったアークエンジェルに殺されることを願ったりとその行動は私欲というよりは徹底して信念のためという美学を持つ大物悪役でもある。なおモイラを「ご婦人」呼び、自分に協力するインビジブル・ウーマンに対して敬意を示すなど女性の扱いもある程度心得ているようである。

2009年02月13日

カルタグラ 〜ツキ狂イノ病〜

舞台は、終戦から6年が過ぎた日本の「上野」。
探偵の高城 秋五の元に、かつての上司である有島 一磨から一つの依頼が持ち込まれる。
--逗子の良家息女が失踪--娘の父親は、娘の捜索を警察官である有島 一磨に依頼する。これまでにも、有島 一磨から依頼を紹介されていた彼からすればなんてことのない依頼である・・・捜索する人物を除けば。
ノーメーク ジェルカン かじぼう スリナ ひこぼ ビオトープ マイクナキ フルーツ カラー ロッキー スイン ナナカマ けいは でんと ノクラス あみだ ジャン ストーン いかりがせ ハーモニー オーリ シングル キッザニ ガポド キック ヤード ダン アップテロ トリガー タフタ ムチン キューテ タイゲーム ハーフアド ききょう リズム でんでん イーグル ディルド オーラオン スケート ラッシ フルート 時の舟 セラック キープ モノクロ デリック フリーラ ブラック

捜索対象は上月 由良・・・、彼--高城 秋五--がかつて逢瀬を交わした娘。そして戦争と同時に別れを告げた相手。
依頼主が待つ逗子に到着すると、上月 由良の妹である上月 和菜から姉の捜索を懇願される。
だが、父親の上月 慶一郎は密かに高城 秋五に告げる・・・。
--「あの娘は、本当は死んでいるんですよ……」と。
その頃、上野で頻繁に発生する事件に警察は頭をかかえていた。
事件の発端は川から挙がった一人の少女の死体。少女はバラバラに切り刻まれた状態で発見される。
警察が事件の糸口をつかめぬまま犯行は連続して起き、死体を切り刻む手口は鮮やかに、そして常軌を逸していく。
それを指し示すかのように、以前よりも綺麗にバラバラに切断され、そして子宮が食いちぎられた状態で新しい死体が発見される・・・。
交差する2つの事件。戦争の跡が残る上野を舞台に、今、惨劇の幕が開く。
高城 秋五(たかしろ しゅうご)
本作の主人公。
終戦後に警察官となるが、とある事件をきっかけに退職。警察を退職後は、上野にある遊郭「雪白」に居候をして探偵業を営んでいる。
あまり親しくない人間に対しては憮然とした態度をとるが、親しい人間には笑みをみせるなど優しい一面をもっている。また、正義感が強いために、必要以上に事件の被害者や依頼者に感情移入してしまう場面もみられ、それが警察を辞めた一つの要因となっている。
物語序盤にて、警察官時代の上司である有島警部に持ち込まれた依頼を受けて、かつて逢瀬を交わした上月 由良の捜索を複雑な感情を抱えたまま開始するが・・・。
上月 由良(こうづき ゆら)
上月 慶一郎の長女であり、上月 和菜の双子の姉。
戦前、逗子で偶然であった高城 秋五と出会い恋に落ちるが、まもなく戦争が始まり、高城 秋五に赤紙(出兵命令書)が届いたため、否応無く二人は別れてしまう。
目が見えず、とある理由から周囲の人間や、家族である父にさえ疎まれていたため、人を信じることができないでいたが、偶然出会った高城 秋五はそんな自分に分け隔てなく接してきったことから、彼を信頼し、そして愛するようになる。
高城 秋五と別れて数年後、謎の失踪を遂げることにより、複雑に絡まった愛憎入り乱れる事件の引き金を引くことになる。
上月 和菜(こうづき かずな)
上月 慶一郎の次女であり、上月 由良の双子の妹。
数年前、父に反発して、父方の実家である逗子から上野の実家へ移り住み、現在は上野の舞台で活躍している演劇女優。
誰にでも分け隔てなく接し、どのような時にも明るさを絶やさないため、初対面の人間であれ直ぐに打ち解けることができる。
母方の実家から戻ってきた際、姉である上月 由良が失踪していたことを知り、父である上月 慶一郎に姉を探すよう嘆願する。
尚、貧乳であることを気にしている。
初音(はつね)
遊郭「雪白」で下働きをしている少女。
戦争で身寄りをなくしたところを、雪白の女将である雨雀に引き取られた。雪白では食膳の運びや、高城 秋五の世話を主に行っている。
おとなしい儚げな容姿をしているが、芯は強く、しっかりとした性格をしている。床につまづいて、運んでいる食膳を落とすなど少々ぬけた所があり、それを乙羽に咎められる場面もみられている。
自分に優しくしてくれる高城 秋五に恋心を抱いているが、口にだせずにいる。
高城 七七(たかしろ なな)
高城 秋五の妹。上野にある私立華陽学園に通う女学生。
知識は広く思慮深いが、自分が興味を持つことには周囲の制止を無視して没頭してしまうため、高城 秋五の悩みの種となっている。また、兄である高城 秋五に愛情を抱いており、兄の愛情を得るためならば手段をいとわない節がある。
上野の連続怪死事件に興味をもち、兄の制止も聞かずに捜査を開始する。
蒼木 冬史(あおき とうじ)
上野界隈を拠点とする組織「死の腕」の用心棒であり、幹部を勤めている女性。
高城 秋五が警察に勤めていた時に、ふとした縁から知り合う。以後、高城 秋五と親交を重ね、高城 秋五が受ける依頼に力を貸している。
冷徹な一面を持ちながら、母性にあふれた女性であり、高城 秋五には女性らしい一面をみせることもある。また、用心棒という仕事には似つかず、家事を得意としている。
上月 由良の捜索の協力を高城 秋五に頼まれ、捜索に手を貸すことになる。
雨雀(うじゃく)
遊郭「雪白」の女将。
元々は吉原の遊女であったが、現在は引退して「雪白」の経営を行っている。また、「雪白」に来る客から得られる情報を利用して、情報屋も営んでいる。
仕事に対しては厳しい姿勢をみせるものの面倒見はいいため、店で働いている女性達からは慕われている。
後に、上野連続殺人事件で「雪白」の女性が殺害されたことにより、高城 秋五に犯人の捜索を依頼する。
凛(りん)
遊郭「雪白」で働く女性。
娼婦という暗い身の上を感じさせない明るさをもつ女性。高城 秋五に冗談交じりで好意を伝えてはいるが、肝心の高城 秋五には本気ととられていないため、二人の仲は進展しない。
自分が娼婦である身の上から、高城 秋五に本気で思いを伝えることができないでいるが・・・。
綾崎 楼子(あやさき たかこ)
高城 七七を親友と慕い、彼女と同じく私立華陽学園に通う良家の女学生。
幼い頃、当時警察官だった高城 秋五と出会っており、それ以来ずっと恋心を抱いている。
良家のお嬢様である為か、世間知らずで、おっとりとした面がみられるが、思い切った言動をとることもある。
後に、高城 七七を通して高城 秋五との再会をはたす。
祠草 時子(しぐさ ときこ)
宗教団体・千里教の幹部。
千里教の幹部として、上野で千里教の布教活動や、顔を出すことができない教主に代わり、千里教への入信希望者との謁見を行っている。
無口で物静か、不思議な雰囲気の女性であり何を考えているかを窺い知ることは出来ない。
上野殺人事件で容疑者として、一度は警察に拘留されるが・・・。
乙羽(おとは)
遊郭「雪白」で働く女性。
戦時中、過ちを犯して路頭に迷っていた所を雨雀にひろわれる。「雪白」では仕事に厳しく、下働きで働いてる初音などには辛くあったている。
同年代であるためか、同じく「雪白」で働く凛とは仲が良く、一緒に買い物などに出かけている。
最近では、自分の妹分である芹と小雪が、妙な宗教にはまりだしたことを心配している。
小雪/芹(こゆき/せり)
遊郭「雪白」で働く双子の少女。
「雪白」で働く乙羽の妹分となるが、雨雀曰く、あまり仕事には向いていないようである。
姉の小雪は強気、妹の芹は内向的な性格で、親しくない人間には敵意をむき出しにすることもある。
最近は妙な宗教にはまりだし、「雪白」での仕事を怠る事も。
深水 薫(ふかみず かおる)
私立華陽学園内の教師。
カトリック系の学園のため、シスターの衣装を身に着けている。信心深いシスターであり口調は丁寧である。
お嬢様が通う学校であるためか、生徒の送り迎えに馬車が用意されており、彼女が御者をする場合もある。
有島 一磨(ありしま かずま)
警視庁の刑事であり、階級は警部。
高城 秋五とは戦時中からの付き合いであり、警察官時代の上司でもあった。高城 秋五の能力を高くかっており、高城 秋五が警察を辞めてからも仕事の世話をしている。
常に冷静さを忘れず、事件の加害者に対しても情をみせる一面からも、彼の為人がうかがえる。
彼が、上月 慶一郎からの依頼を高城 秋五に紹介した事により、高城 秋五は舞台へと足を踏み入れることになる。
赤尾 生馬(あかお いくま)
上月 和菜の所属する劇団の美術監督。
今、上野で開催される予定の舞台で、美術監督を務める新進気鋭の芸術家。常に柔和な笑みを浮かべる優男であり、物腰の柔らかな口調で話す。
上月 和菜に対して好意を抱いているような言動をするが・・・。
八木沼 了一(やぎぬま りょういち)
上野署の刑事であり、有島 一磨の部下にあたる男。
高城 秋五が警察を辞めると、入れ替わるように刑事課に配属されてくる。警察署の人間から、高城 秋五の退職の理由を聞いている為か、はたまた高城 秋五と自分とを比べられていた為か、高城 秋五には良い感情を抱いていない。
性格は冷酷、そして利己的であり、自分の出世のためならばどのような手段もいとわない。捜査に感情をはさまず、出世のことだけを考えていることから、ある意味では警察らしい警察ともいえる。
上野連続殺人事件が発生してからは、捜査に奔走している。

2009年01月27日

おぼろなる月もほのかに雲かすみ

甲斐国人衆から信玄子飼いの部将、そして親類衆や勝頼側近等へと武田家家臣の重心が移り行くなかで、体制の変動をうまく成し得なかった武田家の構造的な問題も検証されるべきであろう(注:武田家中における家臣団の分類は下記の内政・派閥参照)。その意味で、当主や家臣団(武田軍団)が優秀でも、時代の流れには乗り切れなかった戦国大名ということになるかも知れない。

信玄の治世はカリスマという語で表わせられるような説明不能の体制ではなく、配下の各勢力の利権を保障して個々の能力を活用するという、卓越した信玄の能力に拠っていたと考えられるが、これは問題の根本的解決=中央集権化が不可能であった結果であるともいえる。信玄時代と勝頼の時代では周囲の状況は大きく変化した。敵対する勢力の多くが自勢力と同等以上の国力を持ち、その中でも織田氏は突出した大勢力であった。その織田氏と抗争しながら信玄が遣り残した中央集権化という厄介事を勝頼がせざるを得なかった。
ブロース フィンガ チボウ ハロゲン アゴニスト リバタ シェル ハーフ あまおう スカム シャーク ステコミ ジャブ ブレー スリー フィッシュ ポプラ ロユリ ランブル さとち マリン マンディー プラク ヒール ルノー リスト ドオオ ヒット ダンス にしなり ブール マレー ビアン ハイタッチ デッキ エイド タグ最強 ホップ ラッチ サブリ ジェイリ タバスコ ワンダン ステーキ 恋人たち プレス オフィス レイシズ とまや バージャケ

一説に、勝頼は武田家の正式な当主ではなく、あくまで世継の武田信勝の後見人という立場であったといわれる。甲陽軍鑑に記されたいわゆる勝頼陣代説であるが、一次資料の裏づけが無いことから、俗説であると思われる。しかし、一度は諏訪氏を継いだ勝頼を、所詮よそ者、元同輩と侮る家臣もいたようである。また、異母姉の見性院(従兄弟である穴山信君の正室)も我が子の方が武田の血筋が濃いのにと不満を抱いたと言われている。いずれにせよ、信玄の遺言のせいで信勝を当主に指名したのが原因で、勝頼は家臣達に当主の器ではないとレッテルを貼られてしまい、見返すために積極的な外征に走ったと考えられる。そういう点で、勝頼は能力以前の問題として、父にも家臣達にも存在自体を軽侮された悲劇の武将とも言える。

武田氏自体が甲斐の絶対君主などではなく、国人領主の盟主という不安定な基盤に立っていた。事実、勝頼の父信玄も国人領主の支持を集めることにより信虎を追放し(というより、集権体制に移行しようとした信虎に反発した国人領主たちが、信玄を担いで信虎を追放したという見方もある)武田氏の家督を継いだ。また、勝頼の長兄義信は信玄と対立するも国人領主の支持を集めることができず、逆に廃嫡され、自害に追い込まれている。信玄は信濃を支配下に置く時も信濃の国人領主を極力味方に引き入れ、武田氏と利益を共有する「利益集団」的な体制を組んでいる。武田氏の勢いが良い時には固い結束があっても、いったん綻びが見え、利益の共有が危うくなると雪崩をうって崩壊してしまった。

軍政面での再評価
家督相続後に父・信玄時代の国人・家臣の利権の追認等行っており、巷間言われるように内政に全く目を向けなかったわけではない。西上作戦のために信玄が多くの諸役免状等を発行しており、自らの支持基盤の脆弱な勝頼では、この既得権益に対して直ぐに干渉することは不可能であったと思われる。

織田家との対抗上軍制改革を行う必要があったため、中央集権化を断行している。即ち寄親寄子制度の寄子を直接武田家の影響下に置くことである。しかし、これは寄親の既得権益を直接脅かす行為であるため、寄親(国人)の強い反発を受けた。寄親にとって寄子は自らの支持基盤であり、政治力を裏付ける軍事力の根源である。例えば武田家の場合、寄子は訴訟を行う場合でも寄親を通して行う程密接な関係である。寄子を取り上げられることは、国人衆(親類衆も含め)の勢力を弱めることに直結するからである。しかし国人衆の発言力の低減に直決することでもあり、武田家による領内の統制を強める意味でも必要なことであった。

結果的には中央集権化の断行が、勝頼と国人衆との間の溝を広げ甲州崩れの原因となった。しかし、豊臣政権下の上杉氏の例でも判る通り(謀反・粛清・出奔が頻発)中央集権化の断行は必ず内部の対立を伴うものであり、全てを勝頼の責として問うことは出来ない。当主の支持基盤・権力・国人の勢力の強弱、中央集権化を受け入れる土地柄、などの要素によって強く影響されるからである。困難な時期に中央集権化を行わなければならなかった点に、勝頼の不運がある。

長篠の戦以降、東海道方面への度重なる出兵等から武田家の経済状況は逼迫する(信玄晩年期には既に逼迫していたとの説もある)。これに対し勝頼は有力な豪商を蔵前衆にするなどして財政の立て直しを図った。甲陽軍鑑ではこれをかなり強い調子で非難しているが、江戸時代の諸藩の財政建て直しにおいての豪商の役割を見れば、甲陽軍鑑中における非難が全くの的外れであることがわかる。

金山に関してであるが、武田家は直接管理していない。金堀衆に諸権益を保障することによって採掘させていた様である。

上記の様に、勝頼はかなり軍政(=軍事政権による内政)に心を砕き、軍制の改革を試みていた様である。但し、下記の如く複雑に絡み合う派閥間の中で、しかも支持基盤の弱い状況で、改革を強力に推し進めるのは非常に難しいことである。

織田・徳川との戦争に明け暮れた勝頼だが、度重なる出兵を行うという事は、税・兵役・労役などの負担を領内の豪族や民に強いるという事でもある。武田領内は怨嗟の声で溢れかえり、一揆が多発した。これらが武田家の末期に、家臣が雪崩式に勝頼のもとから去っていった主因となったともいわれる。国人衆は家臣ではなく、忠義の観念の比較的薄い戦国時代においては、現実主義的日和見者である国人衆は劣勢の場合裏切って当然の存在であり、そうでない場合でも経済的に苦しい場合など有力な者は出兵拒否などする。食糧生産の不足がちな甲斐では飢饉が多発した。この際の信玄時代の外征は人身売買を含めた大規模な略奪を伴い、参戦した国人は大いに利益を得ていた。また、勝頼時代に負担が増えたといっても、武田家の重税は信玄時代からの伝統である。

人事面での再評価
武田家の信玄期・勝頼期の派閥は以下の通り。かなり複雑である。

譜代国人衆(板垣信方・甘利虎泰・飯富虎昌等)晴信(信玄)を擁立してクーデターを起こしたグループ。
信玄子飼いの侍大将の内で竜朱印奏者(山県昌景・原昌胤・土屋昌次・跡部勝資)
信玄子飼いの侍大将の内で重要拠点の城主(馬場信春・春日虎綱・内藤昌秀・秋山信友)
勝頼子飼いの侍大将(秋山紀伊・安部勝宝・小原丹後等)
親類衆(穴山信君・武田典厩信豊・武田逍遥軒信廉・一条信龍等)
国人衆(長坂釣閑斎・今福浄閑斎・駒井右京等)
奉行衆(跡部勝忠、昌忠・市川昌房等)
外様衆(小幡虎盛・原虎胤・多田満頼・横田高松・山本勘助等。武田の5名臣。他国から招聘された者で、武田家直轄の足軽の指揮等を行う。)
先方衆
権力の変遷は、信玄初期1→信玄中期~後期2(+3)→勝頼長篠前2+4+5+6→勝頼長篠後2の子弟+4+5+6となる。特に信玄後期から勝頼期については、竜朱印状(武田家における行政公文書)の発行者とその数によって当時の状況が伺える。なお真田氏など箕輪城代になるなど準譜代の扱いを受けている者や、信玄子飼いでありながら勝頼に近い跡部勝資などの特別な例もある。

上述の様に複雑に派閥が存在する武田家において、長篠の戦以前の支持基盤の弱い勝頼の独断で武田家を指揮(長篠の合戦の開戦等)出来たかは甚だ疑問である。

いわゆる宿老と言われる部将も親族衆・国人衆・信玄の旗本出身者等出自も一様でなく、その中で信玄子飼いと言われる武将においても、組織の中枢にいる者と最前線の責任者とでは立場も微妙に異なるため、一概に勝頼対譜代家臣の対立と言う図式は当てはまらない。

派閥の多い武田家中において、子飼の武将を育てる時間も無く強大な敵と戦わねばならなかったのは不幸であった。結果、多くの内紛・内部対立を残したまま、戦場へ向かった。

外交面での再評価
長篠の戦い(設楽ヶ原の戦い)は、信玄の戦略方針を継承するのであれば何れ不可避な戦いであり、寧ろ開戦時期が遅きに失した感すらある。武田家を取り巻く環境、特に織田包囲網の外線勢力の衰退や、武田家と織田家の国力の格差・経済成長・勢力伸張の度合いを考慮すれば、可能な限り早い段階で雌雄を決しなければならないのは武田家の方であり、武田家にとっては長篠から撤退すること=戦略的敗北を意味する。戦略的には開戦時期は武田家が織田家と決戦出来るぎりぎりの時期であったと見る向きもある。また戦術的にも無策であるとはいえない。翼包囲を意図した戦術であり、仮に山県乃至は馬場の両翼何れかが敵前線を迂回突破することが出来たなら、武田の勝利の可能性も十分にあったのである。カンナエの戦いやプロシアのフリードリヒ大王の戦いなど、翼包囲により劣勢の軍が優勢な軍を打ち破った例も多い。但し両翼が迂回突破する以前に自軍中央が崩れると両翼の部隊が孤立するため大損害を蒙る場合もある。設楽ヶ原の戦いは正にこれに該当する(翼包囲とは軍事用語の一つで、一般的語彙の「包囲」を意味する語ではないことに注意)。諸般の事情があるにしろ、長篠の戦い以降は東海道方面において武田家はその滅亡まで決戦を成し得なかった。

早い時期から鉄砲の有効性を認識してきた武田家であるが、長篠の戦い後には更に鉄砲を重視し、現存する軍役定書にも「とにかく鉄砲を用意するように」と記されている。

織田信長から同盟復活を求められた。だが勝頼と家臣はこれを嫌って拒否し、上杉謙信と同盟を結んだ。織田と組むべきだったか上杉と組むべきだったか、勝頼の評価を難しくしている原因の1つである。しかし義信事件を見ても判るように、戦国大名家において戦略転換を行うことは、国人領主等の権益のぶつかり合いの側面もあり簡単なことではない。

軍事指揮官としての再評価
対徳川氏・対北条氏の戦いなどで見せた戦術の機敏さや武勇等の華々しい戦果は、猛者の多い武田家の古参の武将達と比べても遜色ない。

永禄12年(1569年)の武蔵滝山城攻めでは、総大将でありながら最前線で戦い、三の丸まで攻め落とす。
同年駿河蒲原城攻めでは、巧みに城兵を誘い出し、北条新三郎等の名のある武将を討ち取り攻略している。
永禄13年(1569年)の駿河花沢城攻めでは、激しく矢玉が飛び交う中、長坂釣閑斎・名和無理介・諏訪越中・初鹿野伝右衛門などとともに城門に取り付いた話が伝わる。
天正2年(1574年)美濃に侵攻すると、瞬く間に明智城とその支城18城を落とす。
天正7年(1578年)北条氏政と駿河で対陣中、徳川家康に後方を衝かれると、正面の北条軍を放置したまま軍を反転、徳川軍へ急進した。その軍移動の迅速さに北条軍は追撃もかなわず、徳川軍は武田軍の勢いを恐れて大井川西方へ退却した。
天正9年(1580年)上野膳城攻めでは甲冑を着けるのももどかしく城を急襲し攻略したため、「素肌攻め」の伝説を残す。
このような軍歴から、甲陽軍鑑中において「強すぎる大将」と評された。

織田信長も軍事指揮官としての勝頼は高く評価していたらしく、天目山の戦いの後、運ばれてきた勝頼と信勝の首級を前に、「日本にかくれなき弓取りなれども、運が尽きさせ給いて、かくはならせ給ふものかな」との感想を述べたことが三河物語に記されている。

信玄すら落とせなかった高天神を攻略した勝頼の名は轟く。しかし、この大戦果が同時に勝頼の自信過剰に繋がったとも言われる。ただし当時の戦国大名は領土の拡張=国人・家臣に対する恩賞の確保という面から勢力拡大し続けなければならないという組織の構造上の問題もあるため、拡大路線はやむを得ないと見る意見もある。

人格面での再評価
高野山に現存する武田勝頼の肖像画のレイアウトは、上座に勝頼・下座に信勝と北条夫人という構図であり、非常に珍しいものである。この肖像画、陣中より愛妾に送った手紙や北条夫人の祈願文の内容から判断すると、武田勝頼は愛情の細やかな人であったようである。

しかし、『甲陽軍鑑』において勝頼は「常に短気なることなく、喧狂におわしまさず、如何にも静かで奥深く見え奉る」と評されている。もっとも、甲陽軍鑑は信憑性に疑問がもたれる史料でもある。

その軍鑑は同時に、勝頼が信玄時代からの百戦錬磨の老臣の意見を軽視したことや、跡部勝資、長坂光堅ら近臣を重用してしまった事が武田家に深刻な内紛を産んでしまったと主張する。しかし、当時の勝頼の立場を考えれば、老臣の意見を無視したというよりも、寧ろ親類衆・老臣たちの意見に翻弄されたと見るべきである。勝頼の脆弱な支持基盤から強権を発動できるとは考えにくい。内紛の原因は信玄時代からあり(特に義信事件)、燻っていたその感情が勝頼時代に噴出した感がある。また跡部・長坂両人であるが勝頼時代に取り入った悪臣とすることが多いが、長坂は信玄時代に諏訪郡代であったり、跡部はそもそも信玄子飼いの武将であり信玄存命時から竜朱印奏者であった。以上から信玄時代から重用されていたことがわかっている。また、近年では跡部勝資は天目山で殉死したことが確認されている。この両人の評価に関しても甲陽軍鑑の記述に拠るものが多く信を置けない。

重臣の中には先代の言葉を守らない勝頼の血気を憂える者もあり、戦勝の祝宴の席で高坂昌信は、「この盃こそ御家滅びの盃」と洩らしたという。しかし、実際には信長から謙信へ宛てた「武田四郎は信玄の言付をよく守り、表裏の進退も巧く油断できない」という内容の手紙が現存することから、この発言は俗説の域を出ない。

母が信玄が滅ぼした諏訪頼重の娘であったことから、当時の人々は勝頼のことを復讐をなす呪いの子と恐れたとされている。

勝頼の悪評の一因として、武田信玄の用兵を導入した徳川家にとって、武田家の武威を讃えることは、その武田家に勝った徳川家の武威の偉大さを同時に世に知らしめることになるため、重要なことであり、武田家が滅んだ理由を信玄に求められないよう、勝頼に責を押しつけた点も指摘されている。勝頼と同様に徳川氏から評価を貶められた例としては織田信長がある(信康切腹事件、姉川の戦いにおける浅井勢の奮戦、など)が、これは同時に織田信長の援軍によって武田家を滅ぼすことができたことを覆い隠す工作にもなった。

まとめ
武田勝頼の戦国大名当主・武将としての資質は優秀な部類に属すると思われるが、如何せん自らの出自・武田家の内部事情・周囲の状況等の条件が劣悪であった。地政学上、甲信地方は濃尾・関東に比べて不利である。人口も少なく石高も低い。人口が少ないということは兵力となりうる余剰人員が少ない、また経済規模が小さいということを示す。全体的な大きな流れとしては、何れ濃尾・近畿勢力か関東勢力に侵食される可能性が高い。結果として武田家滅亡時の当主であるため亡国の将であると言う批判は避け得ないが、その事績は今後再評価されていくものに値すると思われる。

家系
父:武田信玄(晴信)
母:諏訪御料人(諏訪頼重の娘)
正室:龍勝寺殿(遠山夫人)(遠山友勝の娘、織田信長の養女)。
武田信勝
正室:桂林院(北条夫人)(北条氏康の娘)
貞姫:宮原義久室
武田勝親(武田勝三)
香具姫:内藤忠興室(人質として勝頼に預けられていた小山田信茂の娘)

望月信永室
嫡男・信勝がいたが、1582年に父・勝頼と共に死んでいる。他に娘もいたが、詳細は詳しく分かっていない。娘の1人・貞姫は、小山田信茂の娘・香具姫、仁科盛信の娘らとともに、信玄の娘・松姫に連れられ、武蔵国八王子に落ち延び、松姫により養育され、のちに足利公方家の系統の高家旗本宮原義久の正室となり、嫡男・宮原晴克を生み、子孫は江戸旗本宮原氏として幕末まで続いている。

側近衆
跡部昌忠
向山出雲守
小田切孫右衛門
安部宗貞
竹内与五右衛門
小原継忠
小原総守
秋山紀伊守

武田勝頼を描いた作品
小説
新田次郎 『武田勝頼』
1988年に大河ドラマ化(『武田信玄』)されたことでも知られる『武田信玄』の続編。勝頼を主人公に、三方ヶ原の戦いの頃から、天目山の戦いにおける勝頼一族の自害による武田氏滅亡までを描く。また、この作品は、横山光輝・さいとう・たかをによって劇画化もされている。
池田平太郎 『死せる信玄生ける勝頼を奔らす』
映画
『新書・忍びの者』(1966年、大映、演:舟木洋一)
『風林火山』(1969年、東宝・三船プロ、演:中村勘九郎(現・中村勘三郎))
『戦国自衛隊』(1979年、角川映画、演:真田広之)
『影武者』(1980年、東宝・黒澤プロ、演:萩原健一)
テレビドラマ
『太閤記』(1965年、NHK大河ドラマ、演:渡辺文雄)
『天と地と』(1969年、NHK大河ドラマ、演:中村梅雀→小川吉信)
『新書太閤記』(1973年、NET(現テレビ朝日)、演:江原真二郎)
『国盗り物語』(1973年、NHK大河ドラマ、演:石山律(現・石山輝夫)
『徳川家康』(1983年、NHK大河ドラマ、演:藤堂新二)
『おんな風林火山』(1986年、TBS、演:美木良介)
『武田信玄』(1988年、NHK大河ドラマ、演:安藤壮洋→福原学→真木蔵人)
『武田信玄』(1991年、TBS、演:武藤洋行)
『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年、NHK大河ドラマ、演:北谷等→黒田隆哉)
『風林火山』(1992年、日本テレビ年末大型時代劇スペシャル、演:藤田哲也)
『織田信長』(1994年、テレビ東京、演:三浦浩一)
『風林火山』(2006年、テレビ朝日、演:山下英晃→有岡大貴)
『風林火山』(2007年、NHK大河ドラマ、演:本川嵐翔→斉藤圭祐→池松壮亮)
音楽
n.e.r.o. 『Last scene』
作曲:藤井弾正忠忠相 作詞:武田勝頼・武田信勝・武田沙代・藤井弾正忠忠相

2009年01月19日

ヌーディズム

ヌーディズム(英語: Nudism)は、全裸でありながら服を着た状態と全く同じように過ごすこと。ただし服を着て生活することが規範となっている社会における活動を言う。

一般にレクリエーションやリラックス法として、屋内で全裸で過ごしたり、公園や海岸、森林などで、全裸で日光浴や海水浴、外気浴、森林浴、スポーツなどをすることを指す。裸体主義と訳される。 自然との関わりを強調してナチュリズム (英 Naturism(ネイチャリズム)の変化) と呼ばれることもあるが、その区別はあいまいで、同じものと考える者もいる。誤ってナチュラリズム(英 Naturalism)と呼ばれることがあるが、これは「自然主義」のことで別の概念である。ドイツでは FKK (独 Freikörperkultur)とも呼ばれる。ヌーディズムを実践する者はヌーディスト、ナチュリスト、裸体主義者と呼ばれる。

ヌーディズムは、衣服の拘束からの解放感や、全身が直接日光や水や空気に触れることを楽しむもので、他人に裸を見せたり見られたりすることを楽しむ露出行為と当事者たちは区別している。ただし一般においてはその区別の境界線が曖昧であることもあり、両者は同一視される場合もあり特に法律においては両者を全く区別していない国も存在する。従って実践する際は、裸と性を結び付けて活動を性的なもの(特に性器露出などといった猥褻行為)と捉えられないよう意識し、性的な意味を連想されないよう、実践中の性行為や性的興奮を厳しく戒めている場合がほとんどである。 また、ヌーディズム実践を否定的に捉える人々との「棲み分け」を図るべく、専用のビーチやキャンプ施設等が設けられている場合が多い。欧米においては、それらの考えに基づいて家族全員でヌーディズムを実践しているケースもある。

ヌーディズムの歴史
19世紀末、ヨーロッパにおいて、工業生産の増大と鉄道、自動車による加速度的な近代化に反発するかたちで、自然回帰の動きが高まり、ハンドクラフト運動、禁煙・禁酒運動、健康食、健康飲料(果実ジュースなど)、ダンス、海水浴、日光浴、ワンダーフォーゲル、ハイキングなど野外活動の推奨などが声高に叫ばれ始めた頃に、こうした運動がまずドイツで始まり、続いて他のヨーロッパ各国に広がり、さらにアメリカ大陸やオーストラリアなどにも広まった。こうした活動のできる場所のガイドブックは、ヨーロッパでは夏場、駅のキヨスクのようなところで簡単に手に入れられる。国家や地方自治体が公的に用意した観光案内のホームページでもヌーディズムの紹介が掲載されたり、ヌーディストサイトを紹介するガイドブックがダウンロードできるなど、社会的に一定の認知を受けていることが見られる。

ヨーロッパが東西の両陣営に分裂していた時分も、夏場には東欧諸国やソビエト連邦内部の欧州側にはこうした文化がしっかりと存在していた。海岸だけでなく大都市部の真ん中の公園なども夏場は、こうした愛好者たちが集まって来る。教会や市議会などでは毎年のように対応が議論される。

ヌーディズムの現状
ヌーディズムの習慣は主に欧米で行われ、その国々の全体人口の内、比較的少人数により行われているのが現状である。ヨーロッパやアメリカ大陸などには、多数のヌーディスト用の海岸やキャンプ場がある。南フランスのキャプ・ダグド (Cap d'Agde) のような大規模な施設はヌーディストリゾートと呼ばれることもある。全裸が義務づけられる所がほとんどであるが、海岸では服は着ても着なくてもいい("clothing optional")という所もある。椅子などに座る際は、タオルを敷くことが衛生上のエチケットとして求められる。ヌーディズムが一定の社会認知を得ている欧米でも、法律とのトラブルを避けるためにも性的な行動を除外しようとする所が多い。
ヨツバ コルヒチ モネ しおざけ ネルガ ポッド あめりか フレーズ めいわ ラッピ ビンカミン ハザード ソロモン サブライ イシミカ ナシ ティング トラス プライス インチ ネオン コスト ミラショーン レコード カカオマス 白い微笑 ハンドメイド チェンジ Sロガー レンディー パネル 霜の花 レモン テレワ スター ラオオ チュニス ナビラメ きょくし ぽろり モデラート レンジ はさま ハマメリス プログラ ルフィ アゲート フクジ トリッキー マツバ

一般的には、週末や休日などにそれらの場所に、カップル、夫婦、家族連れなどで出かけ、日帰りで、あるいは宿泊して(1泊から、夏の長期休暇には数週間も)過ごす。ヌーディストキャンプには、その規模によって様々だが、プール、サウナをはじめ、テニス場、アーチェリー場、ジムなどのスポーツ施設や、売店、レストラン、子供の遊び場などが設置され、また、ダンスパーティー、映画上映会などが催されたりする。

ヌーディズムの国際統括団体として「国際ナチュリスト連盟 (International Naturist Federation/INF)」(1953年創立、本部ベルギーのアントウェルペン) があり、またアメリカ大陸やヨーロッパ、オーストラリアなどの各国にはそれぞれの国の公的な組織がある(例えば、アメリカ合衆国の American Association for Nude Recreation/AANR、フランスの Fédération française de naturisme/FFN など)。

なお、ヌーディズムをヌードレクリエーション(略してヌーレク)と言うこともある。

「イグノーベル賞」の2004年文学賞に「米国ヌーディスト研究図書館 (The American Nudist Research Library)」が選ばれている。

世界のヌーディズム

ヨーロッパ
フランス
1920年にフランス最初のナチュリズム施設「スパルタクラブ」がヴァル=ドワーズ県にできる。
1950年にフランスナチュリズム連盟 (FFN) が設立される。
2002年の時点において FFN 加盟のヌーディストキャンプは約170ヵ所あるが、小は数十人を収容できるだけの簡単なキャンプ場から、大は大西洋岸の EURONAT のような数千人を収容できる規模まで様々である。自治体によって認可されているヌーディズム用の海岸及び川、湖は約70カ所(2000年)。

アメリカ大陸

オセアニア

アジア
2004年から2005年にかけて、中国や韓国でヌーディストビーチ開設の動きがあったが、実現しなかった。

日本
ヌーディズムそのもの禁止する法律はない。だが実践においては、刑法上の問題で公共の場で人が全裸でいることが可能なのは、銭湯や公衆浴場などを除いてほとんどない。露天風呂は、銭湯の延長として野外で全裸が許容されている例外である。また男女が同時にというのは、混浴の場合が唯一許容されている例である。現在のところ日本には、自治体公認のヌーディストビーチなど、公共のヌーディズム実践の場所は存在しない。
歴史
1970年代初めには、和歌山県の白浜海岸で、ヌーディストビーチを設置する計画があったが、実現しなかった。[1]またその後、インターネットの普及により1997年頃からヌーディズム関係のホームページが開かれるようになり、掲示板上での交流が行なわれ仲間を集めて活動したり、私的なクラブが設立されたりしているが、公共のヌーディストビーチを開設しようとするなどのまとまった形のヌーディズム運動が展開されるには至っていない。
実践における問題点
ヌーディズムは日本人全体から見ればごく少数による活動であり、日本でヌーディズムが広く理解を得ているとは言いがたい。そのため公共地で全裸になれば、刑法上の問題以外にも状況によっては不審者や露出狂とみなされる可能性がある。ヌーディズムに反対する意見の根幹にあるのは、公共の場などで「裸でいること」そのものに対する反対であり、「裸でいること」を必要条件とするヌーディズム推進派とは根本的に相容れない。ヌーディズム推進派はこれに対し、活動が性愛的な要素を含まないこと、「裸でいること」による健康面における様々な効果、「裸でいること」に対する羞恥心や嫌悪感は後天的なものであることなどを主張しているが、反対意見に対し説得力のある反論が行えているとは言い難い。
合法化について
ヌーディズムの盛んな欧米においては、当初「違法」とされながら、歴史を経て、地域等を限定的し「合法」とみなされるようになったケースがあるため、日本でもそれを念頭に置いて、合法化を目指すべきと考えている者もいる。無論、現在の欧米においても、公共の場で全裸になることは無制限で許容されていない。特定の場所、ヌーディストビーチなどでは全裸でいることが法的に認められているということであり、ヌーディズムの合法化とは、普通このような限定された場所におけるヌーディズムの実践を「公然猥褻」などの適用外とするよう、法解釈を変更するか、法の改定を目指すものを言う。また合法化のための活動として、ヌーディスト権利獲得のため裁判を起こした例もある。[2]
非合法下での屋外実践活動
合法化のために活動しているヌーディストもいるが、一方合法化を待たず公有地で実践している者がいるのが実情である。公共の場で全裸になることは違法行為であり、刑法第174条の公然わいせつ罪に問われ犯罪として扱われる可能性が高い。現行の法律の下で屋外でのヌーディズム実践を行っているグループとしてCLUB NAKE'S[3][4]がある。
スポット
伊豆・雲見(静岡県)
雲見海水浴場北東よりの海岸はリアス式の入り江が多く、プライベートビーチ化している場所が多い。そのため夏になるとレクリエーションに来ているヌーディスト達の姿もよく見かけられる。
湯原温泉・砂湯(岡山県)
混浴の共同露天風呂。周辺にもヌードレクの出来る場所がありここを拠点に活動しているヌーディストもいる。
釣師海岸(千葉県)
千葉県外房、いすみ市にある海岸。
磯根崎海岸(千葉県)
千葉県内房、富津市にある海岸。